CRITIQUE

元禄忠臣蔵

『元禄忠臣蔵』
超絶長回しの映画
佐相勉

『元禄忠臣蔵』という驚くべき映画

本作は、1941年から42年にかけて公開された、日本映画史上最も製作費をかけて作られた映画である。ほぼすべてのシーンが京都に新たに作られたセットでの撮影で、資材が不足していた戦時中の日本で、余った資材を思い切り投入して、国策映画として作られた。公開が太平洋戦争の前夜で、人々は映画どころではなく、全く観客は入らず、一向に戦意高揚につながらなかったと言われている。しかも、忠臣蔵といえばクライマックスが討ち入りというのが相場なのに、それが存在せず、女性たちが討ち入りの報告の手紙を読むシーンで表現されており、当時見た観客は大いに失望しただろう。台詞は音で聴き取るには難解で、非常にとっつきにくい映画ではある。


では、いま見るとどうだろうか。以下の批評で佐相勉さんが書かれているように、シーンは長回しの連続で、キャメラの流麗な動きが素晴らしく、壮大なセットと装飾、背景に描かれた襖絵などをじっくり見るだけで、贅沢な芸術品を見るような歓びが得られるだろう。ストーリーを追って楽しむ映画ではなく、スタイル、フォルムを味わう映画である。また、河原崎長十郎、中村翫右衛門をはじめとする当時の前進座の名優たちが総出演しており、その重厚な演技も記念碑的である。それらすべてのアンサンブルを指揮した、後に世界的な巨匠と評価される溝口健二が、心血を注いで完成した超芸術大作なのである。

西田宣善

『元禄忠臣蔵・前後篇』は「長回し」の映画である。
 平均した1ショットの持続時間は85秒強で、長いと言われる溝口作品のなかでも突出している(文末のデータを参照)。最も長いショットは後篇の吉良の首を泉岳寺にある内匠頭の墓前に供えるシーンの6分だが、ここに「長回し」の醍醐味(カメラワーク、俳優の演技の力)は感じられない。むしろ印象に残るのは前篇における5分半に及ぶ「長回し」である。敵討ちなど忘れたかのように伏見の揚屋で女郎と遊ぶ内蔵助(河原崎長十郎)が我が子の主税(市川扇升)にその本心を語るシーン。座敷にいる二人はゆっくりと右へと歩いていき、やがて坐って話は続く。奥の庭に粋な姿に身をやつした小野寺十内(加藤精一)があらわれ、二人の方をうかがっている。内蔵助はゆっくりと立ち、右へと歩む。主税もそれに続く。カメラはそれを追って右へと移動し、十内の姿は見えなくなる。座敷の二人は方向を変えて、奥の御所車の描かれた衝立屏風の前で止まる。二人は顔を見合わせ、内蔵助は方向を変えて手前に歩む。ここまではずっと内蔵助が話し続けていたが、主税が手前に出て来て内蔵助の左に並び、初めて口を開く。二人は顔近く見合い、内蔵助が話す。やがて二人は手前に歩み、二人の位置が入れ替わって、内蔵助は左手前に、主税は右奥に位置する。主税は左にいる内蔵助の後ろ姿を熱心に見つめている。内蔵助はゆっくりと左に歩み、再び庭にいる十内の姿が左端奥に見えてくる。


このような人を動かしながらの会話シーンこそ溝口映画の醍醐味の一つなのだが、私は『元禄忠臣蔵』のこのシーンを見ていて、『滝の白糸』(1933年)の白糸と欣弥が会話をかわす卯辰橋下の河原のシーンを思いだしていた。『滝の白糸』はサイレント映画だから、画面は会話字幕によって寸断され、「長回し」では全くないのだが、白糸と欣弥が歩き、立ち止まり、坐り、寝そべりなど、体を動かしながら互いの位置を変え、距離をとったり、近づいたりしながら会話をかわす演出の見事さが似ていると感じさせるのだ。ここで欣弥は白糸に問われるままに、東京で学問したいという自分の望みを語り、白糸はその望みを叶えるために援助しようと申し出る。二人の転機となる重要なシーンである。それは内蔵助と主税にとっても同じである。「男と男」「女と男」という違い、サイレントとトーキーの違い、「長回し」と細かいカッティングとの違いはあれ、溝口映画における人が体を動かしながら会話するシーンの面白さは変わらない。

元禄忠臣蔵

ところでこれまで述べてきたシーンとは違って、人がほとんど動かずに会話が行われる場面がある。例えば後篇の、討ち入り前に内蔵助が瑶泉院(三浦光子)に御機嫌伺いに来るシーンである。開け放された手前と奥の二間続きという溝口お得意の構図。溝口の他の作品だと、この二間続きの「縦の構図」を活かして、人を動かしながらの会話シーンをつくりあげるのだが、ここでは瑶泉院と内蔵助という主従関係のために、二人は上座敷と下座敷との間を越えることがなく、それぞれの場に坐しているだけである。奥の座敷に戸田局(梅村蓉子)が入ってきて、内蔵助に酒を供する。ここでカットが変わって、奥の座敷の内蔵助と戸田局のみが左右にフルサイズで正面からとらえられる。敵討ちの挨拶に来たのだと思いこんでいる戸田局は盛んに鎌を掛けるが、内蔵助はノラリクラリと逃げをうつ。カメラはゆっくりと内蔵助に近づき、戸田局の姿が画面右へと切れる寸前に、戸田局は手前左の方にしかめ面を向ける。その視線の先の画面外には瑶泉院がいることを我々観客は前のショットで知っている。戸田局は画面外の瑶泉院と目を見合わせて、期待が裏切られたという思いを共有したのだ。


さて、内蔵助に近づいたカメラはそのまま左へと移動し、内蔵助の姿をも画面右に切り、無人の画面となる。内蔵助の話は画面外から続いているが、カメラは笹と鶴の描かれた襖障子をとらえながらゆっくりと左へ移動していく。やがていかにも女性ものと思わせる黒塗りの鼻紙台(?)が現れ、そして白い衣裳に身をつつんだ瑶泉院のキリッとした姿をとらえてカメラは止まる。「内蔵助!」という瑶泉院の鋭い声が、やくたいもない内蔵助の話をさえぎったところでカットが変わる。この2分ほどの「長回し」のショットのポイントは内蔵助を画面から切って瑶泉院があらわれるまでの無人の画面である。左へゆっくりと移動する「時間」は、戸田局の視線を受けた画面外の瑶泉院がはたしてどのような態度で画面にあらわれるかという期待を高める時間であり、それはカットを割ってはありえない感動を私にもたらす。



[データ・平均した1ショットの持続時間]
『浪華悲歌』(1936、撮影・三木稔)23秒 『祇園の姉妹』(1936、三木稔)34秒 『愛怨峡』(1937、三木稔)32秒 『残菊物語』(1939、三木滋人・藤洋三)59秒 『元禄忠臣蔵・前篇』(1941、杉山公平)94秒 『元禄忠臣蔵・後篇』(1942、杉山公平)78秒 『宮本武蔵』(1944、三木滋人)30秒 『名刀美女丸』(1945、三木滋人)46秒 『女性の勝利』(1946、生方敏夫)52秒 『歌麿をめぐる五人の女』(1946、三木滋人)51秒 『女優須磨子の恋』(1947、三木滋人)54秒 『夜の女たち』(1948、杉山公平)40秒 『我が恋は燃えぬ』(1949、杉山公平)44秒 『雪夫人絵図』(1950、小原譲治)30秒
『お遊さま』(1951、宮川一夫)39秒 『武蔵野夫人』(1951,玉井正夫)32秒 『西鶴一代女』(1952、平野好美)46秒 『雨月物語』(1953,宮川一夫)29秒 『祇園囃子』(1953、宮川一夫)27秒 『山椒大夫』(1954、宮川一夫)27秒 『噂の女』(1954、宮川一夫)30秒 『近松物語』(1954、宮川一夫)32秒 『楊貴妃』(1955、杉山公平)35秒 『新・平家物語』(1955、宮川一夫)29秒 『赤線地帯』(1956、宮川一夫)37秒
※三木稔と三木滋人は同一人物

佐相 勉(さそう つとむ)

映画研究者。著書に「一九二三溝口健二「血と霊」」(1991筑摩書房)「溝口健二・全作品解説」(2001〜近代文芸社)シリーズなどがある。編著に「映画読本 溝口健二」(1997フイルムアート社)「溝口健二著作集」(2013発行オムロ 発売キネマ旬報社)「溝口健二—トーキーへの挑戦」で第三回京都映画文化賞を受賞。論文に「喜劇監督溝口健二」(1992「ユリイカ10月号」青土社)「溝口健二・失われたフィルムが語るもの」2006(NFCニュースレター第69号)などがある。溝口サイレント時の失われた映画についての論考が多いが、その研究は溝口の全時代に及ぶ。