CRITIQUE

諧謔三浪士

『諧謔三浪士』
サイレント時代劇を代表する伝説的コンビの隠れた大傑作
上島春彦

ネット配信で最も嬉しいのは、全く存在を知らなかった作品がこちらの思惑に一切関係なく、いわば「向こうから」やって来るようになったこと。私にとって今回の『諧謔三浪士』はそんな1本。一応資料的に述べておくとキネマ旬報社の「日本映画テレビ監督全集」では『諧謔浪士』のタイトルで記載され、また実際の画面では『豪快三浪人』としてクレジットされている。片岡千恵蔵の個人プロダクション、千恵蔵映画を拠点に稲垣浩が30年に監督した2本中の1本である。千恵蔵映画で稲垣は通算14本のサイレント映画を監督したが、本作はその最後の企画となった。稲垣のサイレント期は34年頃には終わる。この時代の時代劇は傑作が目白押しで、見られなくなってしまったものも多い。千恵蔵&稲垣も伝説的コンビとして知られる。これはそうした中では「埋もれてしまった観」のある映画だが、見れば紛うことなき傑作であった。

諧謔三浪士

物語を明かすわけにはいかない。が、長屋住まいの貧乏な仲良し三浪人(千恵蔵、瀬川路三郎、尾上桃華)が贋金造りで江戸を騒がす旗本一味を懲らしめるというコンセプト、これくらいは書いていい。貧乏の表象というのが従ってまず問題となる。それも明るい、暢気(のんき)なビンボー。無駄な言葉(字幕)をなるべく使わず、画面だけでそこを表現したい。脚本も稲垣によるもので、彼は「障子から差し込む光」としてそういう物語のバックストーリーを提示した。この時代の映画を見ると「障子」はつくづく日本映画に与えられた恩寵だと思う。障子は内と外を隔てる閾(しきい)なのだが、朝は外光の斜めからの透過でまばゆく光る。この映画では所々破れていて、そこから太陽光(を模した人工光)が直接室内に差し込んでくる。その光条(こうじょう)の美しさといったらない。英語ではこれをシルヴァー・ライニングと言って、例えば雲間から海に光の筋が落ちる豪華な画面で表されるわけだが、日本映画だとこうした映画的ゴージャス感は障子1枚あれば足りるのだ。序盤は日常描写から、飾り細工職人の兄が行方不明中の美少女とか、浅草寺の露店で弱いもの苛めする六法阿弥陀組を名乗る旗本とかを細かい挿話で示しつつ、やがてそれらがひとつにまとまって化物屋敷地下の大捕物クライマックスへ突入する。画面が見にくくなってしまった場合を見越しての処理だが、悪人を坊主頭にし、それをきちんと画面化する演出を徹底しているのが効果的。浅草での前半の決闘で千恵蔵にちょんまげを切り落された阿弥陀組の頭領(市川小文治)が最後にまた千恵蔵と闘う。千恵蔵の清々しい二枚目ぶりとのコントラストも良く、地下の層状空間での俳優の殺陣も最上だ。いかにも「明朗時代劇」エラの知恵蔵らしく、クレジットにギャグ担当(第八戦車同人)もあるのが「さすが、アッパレ」という印象。でも、細かいギャグは書きません、楽しんでご覧ください。

上島春彦(かみじま はるひこ)

映画批評。1959年生れ。長野県出身。著書に「血の玉座 黒澤明と三船敏郎の映画世界」、「レッドパージ・ハリウッド」、「鈴木清順論 影なき声、声なき影」(芸術選奨・文部科学大臣賞受賞) (以上作品社)など。