CRITIQUE

ニート・オブ・ザ・デッド

『ニート・オブ・ザ・デッド』
噛み合わない不条理と噛みつく死者たち
深泰勉

『ニート・オブ・ザ・デッド』のタイトルを見て、軽いホラー・コメディかな、と思ってみると読み間違うかもしれない。ゾンビ・パンデミックが広がりつつある世界における物語の構造は、ゾンビの発生から逃走、籠城、再度の逃走から破滅までがワンパッケージ。特にメインとなるのは籠城戦になるはず。ジョージ・A・ロメロの作品なら一軒家、スーパーマーケット、地下倉庫、高層マンションを舞台にし、『ショーン・オブ・ザ・デッド』ならパブ、都市部ならビルやマンション、病院といった堅固な建物を封鎖する。時に走るゾンビとひたすら競争する場合もあるが、この映画では住宅街の一軒家を舞台にしながら、ガレージにいたお隣さんのおじさん以外に外部からの襲撃者は出てこない。それどころか、主人公二人が対峙するゾンビは、寝たきりの介護老人と、家族も含めて人との接触を極端に嫌うアイドルオタの引きこもり青年だけ。そもそも主人公たちは、世界的な危機たるゾンビ・パンデミックとまるで向き合ってない。ゾンビと危機意識の低い日本的サラリーマン家庭を組み合わせて、その噛み合わなさの不条理が際立つ構造の物語だ。


閑静な街の一軒家に住むサラリーマン家族、そこには仕事にかまけて家庭に無関心で実務能力ゼロな父の康彦と、実直に家庭を守ること(といっても会話の成立しないお祖父ちゃんの介護と引きこもった息子のケアだけ)と、リビングで育てているハーブ以外に何の興味もない妻の早苗。当然、ゾンビ映画なんて見たこともなく、TVで流れるゾンビ禍報道も他人事。一方、康彦は最低限のゾンビは知っているが、仕事のミスで引き取らされた大量のカップ麺で自宅に籠もれば当面はやり過ごせるというレベルの認識。そんな二人では会話もドラマも噛み合わず、不条理だけが上滑りしていくのも道理。そもそもゾンビ映画に出てくる家は、大事な人を救けに行く先=そこから逃げるべき場所、として使われることが多いからだ。安息の地ではありえないのである。


そして家に篭もった康彦、早苗が向き合うのは、寝たきりのお祖父ちゃんと引きこもりの息子の二人の家族……のはずが、既に二人がゾンビと化していることがわかる。実は引きこもっていたはずの息子はこっそり抜け出して既にゾンビになっており、帰宅して爺ちゃんに噛みつきながら、食べるでもなくまた引きこもっていたのだ。これはロメロの『ゾンビ』や『ランド・オブ・ザ・デッド』などで見られる「死者は生前の行動を模倣する」という描写と同じ方向の解釈。


しかも、早苗はおとなしいだけのゾンビと化した息子をなんとかしてあげたい気持ちだけで突っ走り、夫はその妻を説得できないまま、無駄な会話だけが積み重なる。その背景には、元々康彦と早苗の間にあった家庭の不協和音があるのだが、ゾンビ化した息子の対処を巡って二人の“ずれ“が次々明確になる中で、世界は次第に早苗の望む形に向かっていく。ゾンビが闊歩する幸せな外の世界に向かって。

ニート・オブ・ザ・デッド

全編徹底して噛み合わない会話合戦を繰り広げるのは、第三舞台出身でTVドラマや映画で幅広く活動する筒井真理子と、『ガキ帝国』でデビューし、VシネやTVドラマでいやみったらしい卑屈なおっさんを演じさせたら天下一品の名バイプレイヤー木下ほうかの二人。映画はほぼこの二人の、どこか舞台劇的な噛み合わない台詞の掛け合いで構成されており、まるで二人がいかに相手を喰うかの演技合戦を楽しんでいるようにも見える。


大仰でいて常識人ぶりながら本質的にヘタレな康彦と、息子への愛情を最後の砦に無茶を言い続ける早苗を演じる二人の作る空間には不思議な安定感もある。実際、筒井真理子は本作公開翌年の『淵に立つ』がカンヌ国際映画祭「ある視点」部門の審査員賞を受賞し、自身も国内で3つの主演女優賞を獲得している。一方木下ほうかはこの映画の公開年にTVバラエティ『痛快TV スカッとジャパン』のコント「イヤミ課長」で大ブレイク。本作にはブレイク直前の俳優二人をキャスティングした妙味という点でも興味深い。

ラストシーンでは初めて歩く死者の群れが映り、その中を息子と歩くシーンで初めて早苗の望む安息が描かれる。この構成は本来なら絶望的なはずのシーンを、狭苦しいマイホームから青空の下に開放される二人の希望の時として映し出すが、それは本来のゾンビ映画とは噛み合わないものとなる。なぜならゾンビという不条理が世界が翻弄するのがゾンビ映画の在り方とすれば、この映画は早苗が抱えてきた日常的不条理の噴出が世界を支配しているのだから。


本作の脚本・監督を務めたのは、Vシネ脚本で活躍していた南木顕生で、本作が初監督で遺作となる。思えば彼が共同脚本で参加した『オールナイトロング3 最終章』も、孤独なストーカーの思い込みとすれ違いが狂気の方向に加速していくドラマだったかと思い至る。不安で孤独な魂がシフトチェンジして不条理に暴走していく事にこそ、南木顕生の表現があったのかもしれない。そう考えると、もっと手ひどく暴走した監督作が見てみたかったとも思うのだが、どうだろうか。

深泰 勉(ふかやす つとむ)

幻想・怪奇系映画ライター、東南アジアのホラー映画に出てくるおばけの歴史を調べる「首だけ女研究家」。別冊映画秘宝等のムックで海外TVやSF・ホラー系映画紹介を担当した後、現在は「ナイトランド・クォータリー」誌でSFや怪奇にこだわらず幅広く幻想映画全般をフックにしたコラムを執筆中。